My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2016/02/27

共有する



またヨスと光州を行ったり来たりの毎日が始まった。

二週間ぶりの陶芸は力の入れ具合がうまく掴めなくて、回転の中心を据えるのに少しだけ苦労した。でも何回も繰り返していくうちに勘が戻ってきて、遠心力の中で土の中心を掴んだ瞬間、韓国における自分の位置もきっちりそこに収まった感じがして、ちょっと安心できた


陶芸をする日は、土を触る前にコーヒーを飲みながら本を読んで気持ちを落ち着けたい。ゆえに、いつも早めに到着して工房の近所のカフェに寄ることにしている。そこのカフェは特別にコーヒーが美味しいわけではないんだけど、個人がやっているカフェの割には店内が広く、窓際に並んだ黒の革張りの椅子と木のテーブルの色合いが素敵で、お気に入り。チーズトーストもなかなか美味しかった。

そのカフェで、時々、陶芸の先生夫婦が一緒にコーヒーを飲んでいるのを見かける。私が通っている工房は旦那さんが陶芸家で、奥さんが画家。毎日2人は工房で陶芸を教えたり絵を教えたりしながら自分の創作活動をしている。もちろん、私は先生夫婦が大好き。作品もそうだけど、何より人として好き。先生たちが紡ぎ出す言葉の一つ一つから、素晴らしい人格の持ち主だとうことがわかる。そして、二人は工房の中でも本当に仲良しで、いつも一緒にいる。

この日も先生たちが2人でコーヒーを飲んでいて、その光景があまりに素敵で声をかけるのも忘れて見とれてしまった。あんなにいつも一緒にいるのに、まるで共有しなくてはいけないことがどんどん溢れているように、熱心に相手に伝え、熱心に相手に耳を傾けるその姿にとても感動してしまったんだと思う。結局、二人の世界を壊すようだったので声はかけず、私は私の世界で本を読むことにした。二人は私よりも早めに工房に戻り、その後たっぷりと時間をとり、私は工房に向かった。


私もドンちゃんと共有したいことが、毎日毎日溢れてくる。昨日の夜はそれが溢れすぎて、ダムが決壊するようにドンちゃんにたくさん話してしまった。

まず、ヨスに向かう帰りのバスで聴いていたBoyz Ⅱ Menがマイケルジャクソンの「Human Nature」をカバーした音源の音色が、消灯された電気の横が赤く光るバス内の空気とピッタリ雰囲気が合っていたこと。一音一音がバスの中で弾けて吸い込まれていくようだったこと。


次に日本で観てきた抽象画といつも読んでいる文学作品たちが同じだということ。その同じを以って私も陶芸に励みたいこと。そして自分が陶芸という手段で表現したいことがようやく生まれたということ。そこには古代ヘブライ語とバッタ、わたりガラス、trick starがキーワードになってくるということ。その発想が自分の中で生まれた時、泣きそうだったこと。


最後に、私を悲しくさせる時間という観念について。帰りの飛行機で日本で過ごした私の二週間がどこに行ってしまったのかと悲しくて仕方なくなってしまったこと。時間を流れると据えるのならば、いっそ、時間という概念なしに生きることにしたいこと。インディアンのホーピ族は時間と空間という概念がなく、その代わりに「顕現した、顕現する」という枠組みで宇宙を説明しているということ。ならば、過ぎ去った時間を顕現したと据えることで、もしかしたら私は救われるかもしれないと、考えていること。


そんなことを全部ドンちゃんと共有したくて、熱心に深夜まで話してしまった。

こんな内容を真剣に話せる友人は日本でも数人ぐらいしかいない。ドンちゃんはいつも、もちろんこの日も、熱心に聞いてくれて、私の作品作りに興味を示してくれ、時間について彼の持論を聞かせてくれ、また、同じ例として「言葉」について考えていることを語ってくれた。それは私にとっても興味深いものであり、それを共有することでまた一つドンちゃんを理解できた気がするものだった。そしてドンちゃんは最後に必ず私を讃えてくれる。「マイベイビーはrawだね」って。


自分の頭の中に溢れてくる考えや疑問ってものすごく個人的なものだから、こうやって誰かと共有できることってかなり貴重なことだ。共有とは、私とドンちゃんにとって精神的な繋がりな気がする。それは相手をより知りたい、相手により自分を知ってほしいという気持ちと行為であり、つまり愛情というものを噛み砕いた時の破片の一つのような気がする。人はその人をより深く知っていきながら、その人をより愛していくんだな。


10年後も、先生たちみたいに私たちは熱心に会話をしているのかな。相手に知ってほしいことや、相手についてしりたいことがコンコンと溢れて、今より深く好き合っていればいいな。そうゆう「未来」を「今の2人」で共有しよう。




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2016/02/26

丸ごとの鶏を



ドンちゃんは鳥が好きではない。本人はダチョウっぽいところもあるんだけど。

付き合って4ヶ月目のデートで動物園に行った時は、鷹や鷲、コンドルといったいわゆる猛禽類の檻には絶対に近寄らなかった。行くぜって手を引いても「こわいよー」と一歩も譲らなかった。私の命令は絶対に従うあのドンちゃんが。また、韓国にはカササギという鳥が割と身近にいて翼が青くてとても綺麗なんだけど、ドンちゃんは見るたびに「うわっ気持ち悪っ」と言う。おまけに鳥についての知識も欠落してて、ついこの間まで、雀が成長して鳩になると信じていて私を仰天させた。こっちがこわいわ!

のくせに、何よりも鶏肉が好き。鴨肉も好き。豚よりも牛よりも何よりも鶏肉を愛する男がドンちゃんなのである。前世で鳥と因縁があったのかな?実はドンちゃんは鳥に食われて死んだ鼠で、鳥は嫌いだけど復讐心があるから鶏肉は好き、みたいな?ま、鳥嫌いと鶏肉好きは科学的にも論理的にも何も関係しないけどさ

そんなドンちゃんがいるので、我が家の食卓には鶏肉の出現率がかなり高め。ゆえに、鶏肉は丸ごと買うのが定番。写真のがそれ。韓国は自宅でもサムゲタンやペクスを作るので、どんな小さなスーパーでもだいたい丸ごとの鳥が売られている。価格も安い。

丸ごとのを買ったらまず丁寧に洗う。毛がついてたりするのでそれも綺麗に除去。ちなみに洗っているときはまるで自分のお尻を触っているような気分になる。肉の塊という点で共通しているからか。

そのあとはスープのために丸ごと蒸してしまう。我が家は大きなサイズの蒸し器を持っていないかので、大きなお鍋とザルをうまく使ってスープを下に溜めるような形で蒸している。





写真が茹で上がった鶏とスープ。スープは3つぐらいにわけて冷凍保存。お肉もハサミでジョキジョキと切り分けて、いくつかに分けて味付けして保存。味付けは、ドンちゃんが好きなハーブのスパイシーなもの、私が好きなお醤油とお酒とみりんとニンニクのもの、時々カレー粉だったり、エスニックっぽく。そして、食べ方はだいたいオーブンで焼いたり揚げたり。

この日は蒸した鶏肉を野菜たっぷりのサラダにして、スープは青梗菜と一緒にいただいた。我が家のバードマンも大満足。コラーゲンを摂取できるので私も大満足だったけど。

そして今日は「体調が良くないよ」と悲痛なメールが来たので、冷凍保存してあるスープで中華粥の予定


鳥に救われるドンちゃん。







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2016/02/23

ドンちゃんの花束


目映く輝きながら梅が咲いていた日本から、ヨスに戻ってきた。

東京の冬に慣れきってしまっていたから、寒さが骨の髄まで染みるかもしれないと、ヨスの気温に少し警戒していたけれど、どうやら杞憂に終わったみたい。東京よりか寒いけど、吹く風は少しだけ柔らかく、空気の匂いは優しくなった気がする。春の兆しを感じることができる。まるで極寒から初春へワープしちゃったみたい。日本に行く前はあんなに寒かったのに。でもそれは得をした様で、実際は私が不在の世界も時間は容赦なく逃げ去っていくんだな、ということを意識させられる。持ち主がいない空白の時間はどこへ?


さて、我が家にも少しだけ春が。かすみ草にぎゅっと埋もれたピンクのカーネーションがリビングのコーヒーテーブルの上から毎朝私を迎えてくれる。

このお花は、ドンちゃんがプレゼントしてくれたもの。私の帰国日に合わせて、お家をピカピカに掃除してくれて、お花を準備してくれた。お花も嬉しかったけれど、掃除も徹底的にしてくれたので嬉しかった。ま、それだけ我が家の掃除が毎回適当だったということだけど。

それはともかく、「マイベイビーと一緒にご飯を食べたい」「マイベイビーがいないから悪夢をみる」と、私の帰りを待ち望んでくれていたドンちゃん。掃除やお花から、その思いがヒシヒシと伝わってくる。でもそれは「絶対にこっちへ帰って来て」という強要ではなくて、日本にも未練がある私のどうしようもなく形容し難い気持ちに、そっと寄り添ってくれる彼の思いのような気がする。それは「こっちで一緒に幸せになろう」という一方的なものではなく、「マイベイビーが幸せに笑えるならば、どっちを選んでもいいんだよ」という私を尊重したものであり、でもその核には「ぼくを選んでくれるならば、必ず幸せにするからね」という覚悟がある気がする。

そんな繊細な彼の思いが、かすみ草の白やカーネーションのピンクから溢れている。 

私にはドンちゃんがいる。日本に帰る度にタフな私はどこへいったのか毎回色々とセンチメンタルになり色々と考えてしまうけれど、私を大切にしてくれる人がいるところ、私が大切に思う人がいるところがやっぱり帰る場所。

ドンちゃん、ただいま



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2016/02/22

お父さん



父が病気になったと連絡を受けたのが一時帰国の一ヶ月前。

退職した後も、個人事業主として大きな案件を抱えバリバリ仕事し、一方で健康には誰よりも気を使ってきた父だったので、病気のことを聞いた瞬間は驚き、手が少し震えてしまった。その夜はベッドに入ってもなかなか眠れず、ドンちゃんの胸でおいおい泣いた。

帰国日の一週間前、これ以上悪化すると命に関わってくるが、幸いなことに今のところは大丈夫だということを母から聞いた時は、窓を開けたら突風が吹き抜けていくみたいに、なんとも形容できない感情が全身に駆け巡って、気づいたらポロポロと泣いていた。

悪化させないために、食事制限をしなくてはいけないらしく、お酒も乳製品も脂質も厳禁。元気でいてくれるならそれで良かったんだけど、グルメな父を思うとかわいそう。そしてなんだか切ない。

そんな父のために、実家に滞在している期間はできるだけ私が夕飯を作ろうと誓った。母も仕事が忙しそうだし、父だけではなく母のためにも少しでも孝行したくって。




油や卵なんかを一切使わないメニューを考えるのはなかなか面白かった

写真のこの日は新鮮なセロリがあったので、普段は卵と一緒に炒めるセロリの葉を、お鍋に入れて塩胡椒を少々してじっくり煮込んで出汁を取った。その出汁で野菜スープ。セロリの茎は浅漬けに。メインは父の好きな高野豆腐を使って、高野豆腐の肉詰め。具は鶏肉と刻んだ椎茸とネギで、鰹節でとった出汁にお醤油とお酒とみりんで薄く味付けして煮込んだ。久しぶりのインゲンはすりごまで胡麻和え。切り干し大根は一袋を水に戻して人参と一緒にピクルスにした。

と、書いてみると質素なごはんだけど、母も父は喜んで食べてくれた。ドンちゃん以外にこんな風に美味しい美味しいって食べてくれる人は両親以外にいない。もっと色々と調べてみて、健康にいいご飯を作ってあげたかったな。

父のことはいつでも大好きで感謝の気持ちでいっぱいだったけど、結婚してからの方がもっとその気持ちが大きくなった気がする。というのも、父が私のことを大切に愛情いっぱいに育ててくれて、私たち兄弟や母に対していつでも誠実で、家族を大切にしてくれたからこそ、私はドンちゃんみたいな人を選べたのではないかと最近思うから。私の「男性をみる目」は父あってのものだと思う。

母にも「あんたはパパみたいな人を選んだんだね」って言われ、それは父とドンちゃんがやはり似ているということなんだなと、一人で納得した。

父の検査結果が分かる前に韓国に帰ってきたけど、何かあったらきっと、私はもっと一緒の時間を過ごしたかったと後悔するんだろう。でもどんなに一緒にいても後悔は生まれるものなのだとも思う。でも、父や母には後悔して欲しくない。後悔はさせまいと思う。

生まれてから嫁いだ今でも変わらずに娘として大切にしてくれるパパのためにも、やはり私はドンちゃんと楽しく元気に幸せに暮らしていかないと。



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2016/02/15

天秤にかける



一昨日も昨日も今日も、お風呂と夕食を済ました後は、布団の中でお酒をちびちび飲みながら本を読んでいる。実家には赤ワイン(ホットワイン用)、芋焼酎(赤霧島ではないけど)、日本酒(会津の)があるから、毎回気分によって選ぶのが楽しい。お酒のお供は、父の本棚にあった山口昌男の「アフリカの神話的世界」。Sちゃんから中央インドのゴンゴ族民族の神話が描かれた絵本を誕生日プレゼントに贈ってもらい、そこから自分の中で静かに神話ブームが起きている

寝る前に自分の好きなように過ごして自分の好きな時間に寝るというのは独身ぶりで、結婚してからは歯を磨くタイミングも寝るタイミングも全部ドンちゃんと一緒だったので、こうゆう時間は久しぶり。自分が日本にいるんだなと改めて感じる。

でもその夜見た夢の舞台は韓国だった。もちろん夢の中の私はドンちゃんと一緒。


ほんのわずかな期間だけれど、日本で家族と過ごし友達に会っているうちに、日本には私の大切な人たちがたくさんいて、好きなことがあって、過ごしやすい環境があることを改めて感じた。つまり、韓国での生活のために自分が手放したものの大きさを改めて知った。

数も大きさも重さも、私にとって韓国の生活よりも日本での生活の方が勝っていることは明確な事実。でも、ドンちゃんと結婚してドンちゃんがいる韓国で暮らしていくかという現実が目の前に迫った時、日本での生活と韓国での生活を天秤に掛けて計り、ドンちゃんの韓国を選んだのは私。

天秤にかけたとき、その基準は数でも大きさでも重さでもなかった。そう、そんな単純な基準ではない。計ったものは、今の自分とこれからの自分にとってどちらが「より大事」なのかだった。私にとって、日本の家族との時間よりも、韓国でドンちゃんと家族になる方がより大事だったということ。いや、どっちが大事なんて選びようがない、不可能に近い難しい選択だったんだ。

でも、天秤にかけ、自分にとってより大事なものを明確にすることは、極めて重要な作業であったと思う。自分の人生にとって。なぜなら、より焦点が絞られた豊かな人生を生きることができるから。何が優先的に大事なのか、が分からなければ、焦点が定まらない空っぽな人生になってしまうんじゃないかな。

毎回、日本に来るとセンチメンタルになってしまう。友達がいて、家族がいて、居心地が良い日本。でも、帰るべき場所はドンちゃんがいるところ。夢で出てきたところと同じ、韓国。ドンちゃんと私という、たった二人の家族が何より大切だから。




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2016/02/12

旧正月があげて


旧正月の連休も終わりましたね。

今年もドンちゃんは有給を使い旧正月休みを七日間にし、それを丸々使って6泊7日、日本の実家に一緒に行って来ました(私はまだ日本にいるけれど

二年ぶりの再会を果たした私たちの大好きな友人夫婦とサイクリングをし、祖母に会いに行き、父や母や弟たちと外食をし、母が忙しい日は父が有給を使い三人で東京散歩、父が忙しい日は母が有給を使い三人でお寿司屋さんへ、と、ほぼ家族と一緒に楽しく過ごしました。





生きていると色んな瞬間に幸せを感じることがあるけれど、私がお風呂に入っているときにリビングからドンちゃんと両親の笑い声が聞こえてきたとき、ドンちゃんとお母さんやお父さんが仲良く肩を並べて歩いているとき、今回はそういった瞬間にものすごく幸せを感じることができました。

それは、ドンちゃんが私の両親をとても大事に思っていてくれている、というのもあるんだけれど、それよりも、私にとって大切な存在である両親と「ドンちゃん」という存在を「一緒に大切に共有できている」からだと思うんです。両親が私と同じぐらいドンちゃんを大切に思ってくれていて、それが嬉しい。大切な人と同じ人を大切だと思えるっていいなって。幸せなことだなって思いました。きっと、子供ができたときも似たような感じなのかもしれないな





そして、今回は北陸地方、富山県は氷見温泉へ一泊二日だけど、旅行にも行くことができました。とろけるような温泉、脂がのった寒ブリ、上品な日本酒を堪能し、大満足。高岡ではボランティアの方にガイドをしてもらい、市民の人たちが前田家をとても大事に考えていることも感じることができました。あとは、街には豪雪地帯ゆえの知恵が散らばっていて、ドンちゃんとそれを見つけてはすごいね、と感心していました。楽しかったな。





毎年一回は日本と韓国以外の国に行こうという目標と一緒に、日本国内旅行にも行こうという目標も立てているので、一つは達成。けど、一つと言わず、また日本のどこかに行きたいな。





韓国ではまだまだ家族で過ごす習慣がある旧正月のお休みを、迷いもなく日本への帰省に使ってくれたドンちゃんと、それを快く承諾してくれたドンパパ、ドンママに感謝。

私はもう少し日本にいて、用事を済まし、会いたい友人たちに会って、韓国に戻ります。


写真はすべて富山旅行で撮ったもの。ちなみに撮影者はほぼドンちゃんです。




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2016/02/04

市場デート



今日で2日間に渡った大学院の卒業試験が無事終了。専門科目と英語と韓国語の試験。この試験にパスできれば論文を提出でき、その論文が口頭試問で合格できれば、めでたく修士号。

大事な試験だったので、1月は陶芸以外は家にこもって勉強の毎日だった。でも勉強ばかりだとストレスが溜まるので、社宅のジムでラジオ(バナナムーンを聴きながら、勉強以外の色んなことで頭をいっぱいにして走っていた

試験の前日は、走りながら、ふと、自分が立っている共同的空間では、その上にジェット気流みたいな流れが一方方向に流れていているのかもしれないと思った。それにうまく乗れる人と乗れない人がいて、自分は間違いなく後者だと。で、小さい頃は間違いなく、自分はそれに乗れる方にいる人だと信じていたんだということ、でも、実際の自分はその流れには乗ることができずに地上をトボトボと歩く方の人なんだということに気づいた。常に何かズレている感覚が、どこだと断定できないところから湧き出ていたので、なんか、合点がいった気がした。ちょっとホッとした、色んなズレがフラットに直っていく感覚になった。走り終わる頃には身も心もスッキリ。

スッキリしたおかげかわからないけれど、試験もおそらくパスはできそうな手応えがある。たぶん

走ることもそうだけど、ドンちゃんと週末に一緒にいることもストレス解消になる。先週は二人でお散歩がてら市場に行ってきた。特に買うものとか、何も考えてなかったんだけど、なんか二人で行きたくなって。

市場は日曜日だったけれど、かなりの賑わい。家族総出で色々と買い込んでいる人が多かった気がする。おそらく、旧正月が近いからかな。美味しそうなものもたくさんあった。野菜とかお豆腐とか食材だけではなく、その場で作った出来立ての豚足、ドーナッツ、お刺身、チキンなどなど。




見ているだけで楽しい。二人でルンルンで歩いていたら、人気のお惣菜屋さんを発見。お惣菜屋さんと書くと、デパ地下のデリ風お惣菜とかもしくは京都のおばんざいとか、そうゆうおしゃれなイメージが先行するけど、ここでいうお惣菜屋さんとは、いわゆる毎日の常備菜を作り売るお店。





ちなみにお惣菜屋さんは一つの市場にも何軒かあるんだけど、全てが良いわけではなく、毎日新しく作るお店でなければいけないと、ヨスで知り合ったおばさんに聞いた。そのおばさんオススメのお店が写真のところ。




色々と買い込むお客さんたちを見ていたら私たちも買いたくなってしまって、ナムルの盛り合わせと、チャンジョリムを購入。量も少量から買えて、価格もかなり安い。ホクホクの気持ちで帰りながら、二人暮らしだと大量におかずを作っても消費できないから、市場で買ったほうが経済的だよねという話をした。だからと言って自分で料理をせずにお店で済ませようとは思わないし、自分の家で作るのが一番だと思うけど、でもたまには自分以外の他の誰かが作った料理も、食べたいなとも思う。




夜は買ってきたナムルでドンちゃんが石焼きビビンバを作ってくれました。トゥッペギにごま油を塗って、ご飯とナムルを入れて火にかけるだけ。出来上がったら真ん中に卵を落として出来上がり。

コチュジャンを入れて混ぜて食べる時のポイントは内側を混ぜること。外側の部分をそのままにすると美味しいおこげになるから。最後におこげ部分と一緒に食べると、香ばしくてホクホクで美味しい。ごちそうさまでした。


寝る前にビールを飲みながら、ドンちゃんと一緒に任天堂64のマリオカートをするのもストレス解消になる。私はヨッシー、ドンちゃんはキノピオ。150ccも全てクリアして、おまけコースも出現した。ちなみにドンちゃん、サンダーが出たときは必ず使っていいかを私に確認する



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2016/02/02

夫婦の下着事情





日本帰国が迫ってくると、我が家には私宛てに下着の贈り物が宅配便で届くようになる。私好みのシンプルなんだけど、生地が上質で肌触りが最高な下着たちが。送り主はもちろんドンちゃん。

なぜ、帰国前に私に下着のセットをプレゼントするのか。ドンちゃん曰く、それは実家に滞在中に「エミちゃん(お母さん)がマイベイビーの洗濯物を干してくれる時、娘の下着がちょっとでもヨレヨレだったら心が痛むでしょ」との理由から、らしい。私の両親を少しでも安心させてあげたい、という彼なりの気持ちなんだと思う。

で、今回も何着か下着が届いているのだが、ちょっと様子が、いつもと違う。というのも男性用のボクサーパンツも一緒に届いたのだ。もちろん、ドンちゃんの。もちろん、ドンちゃんが下着を新調することに異論はない。が、しかし、問題がある。


私の下着と全く同じ柄のパンツなのである。

そう、つまりお揃い。カップルパンティー(爆


韓国の下着屋さんのディスプレイではよく見るカップルルック。ムキムキな男性マネキンとスタイル抜群の女性マネキンが、お揃いの下着を着せられ並んでいる、それ。見るたびに、韓国らしいなーと思いつつも、自分たちがそうしようなんて思ったことなかった。これっぽっちも。なんなら、若いカップルだったら可愛いかも、ぐらいしか思ってなかった。

まさか、ドンちゃん(29歳)私(30)の三十路夫婦がやるなんて。
エッー、キッモ!


「エミちゃん(お母さん)が見たら微笑ましく思うだろうねー」って満足げだったドンちゃん。


たぶん、母はひくよ。ドンびきだよ。


写真は、娘夫婦がお揃いのパンツで来日するなんて少しも知らない可哀想な母が、私に買ってきてほしいと、珍しくリクエストしてきたもの。韓国のスープの素である、ダシダ。

牛肉とアサリの二つ。牛肉の方はチャーハンを作るときに振ると美味しいらしい。
アサリの方は焼きうどん炒めているときに入れると風味がよくなるみたい。

ドンママの影響で韓国料理での出汁はすべて一から取ることを覚えたので、こうゆうのに関心がなかったけど、母みたいに応用で使ってみたくなった。我が家も購入するか

おっと、カップルパンティーの写真はありません。悪しからず。





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2016/02/01

言葉遣いについて



日々の生活で誰かと話す時に使う言語はほぼ10割が韓国語。そして、その話し相手の7割はドンちゃん(残りはタクシードライバーかもしれない。というのも毎日タクシーに乗っておじさんたちと会話するから)ということで、私が話す韓国語はドンちゃんに影響を受けています。

突然ですが、私とドンちゃんは付き合ってから今まで、喧嘩をしたことも言い争ったこともありません。ドンちゃんが私にキレたこともなければ、私を責めたこともなく、嫌味を言ったり、無視したり蔑ろにしたこともなく、もちろん、悪口を私に吐き捨てたこともありません。
(ちなみに私の周りにもケンカをしない夫婦、カップルたちが多いから、私たちが特別だとは思いません)

私に対してものすごく温厚で優しいドンちゃんは、もちろん他人に対しても温厚。なので、私はドンちゃんが汚い言葉遣いや罵り言葉をその口から発している場面を一度も見たこともなければ、聞いたこともないのです。そもそも、ドンちゃん自身がスラングなどが嫌い。いわゆる「美しい言葉」を好んで使う人。これはきっと育ちによるものなんだと思うけれど。

逆に私が韓国語での悪口を発すると「マイベイビーの美しい口からは、美しい言葉がでてきてほしい。汚い言葉でその口が汚れるのはいやなんだ。」と優しくたしなめてきます

その結果、私の韓国語は「丁寧で崩れていなく綺麗だ」と褒められます。逆に言えば、若者言葉やスラングはほとんど知らない。これがまさに、ドンちゃんの影響。

韓国人に自分の韓国語を褒められるたびに、ドンちゃんに感謝の気持ちで一杯。逆に「長くいるのにスラングとか知らないんだね」とディスられると「だってドンちゃんが使わないんだもん」とショボンな気分になります。

ちなみに発音は別問題。光州やヨスの人からは「釜山から来たの?」とよく言われるので、私の韓国語は訛っているんだと思う(汗日本語の癖でアクセントを一番最初においてしまうから。

で、問題は今日本語を勉強しているドンちゃんが、私の日本語の影響を受けているということ。ドンちゃん自身は美しい言葉を使う人だけど、私の日本語はそうではない。どちらかといえば、美しくない。



これに関連した出来事で最近ギョッとしたことがあって。それがこの上の写真なんですが。(左がドンちゃん、右が私)

お昼に何を食べたの?と聞いたら、イカ(韓国語でオジンオ)を食べたらしくかわいそうなことに美味しくなかったみたい。それを日本語で「ごみみたい」と報告してきたんです。


ご み み た い 


ごみみたい?!!!

変な日本語は継続的に教えているけど、「ごみみたい」なんて教えてないよっと読んだ瞬間びっくり。どこで習ったんだろうって。

でも、考えてみれば、というか考えるまでもないんですが、これ私の口癖だった。不味いコーヒーを飲むたびに「ごみみたいなコーヒー」、赤信号でも横断歩道を横切る車を見るたびに「ごみみたいな人間」、日本のお寿司を冒涜するかのような日系寿司屋が誕生するたび「ごみみたいな考えで始めた」、などなど。このお腹の中から吐き出されるドロドロで真っ黒な私の日本語表現を、ドンちゃんはしっかりと耳でキャッチして、しっかりと私の前で使ってきたという事実。ショック!私がドンちゃんの日本語に悪影響をモロ与えているではないか。。。

ちなみに変な日本語は最近「ころも」を教えました。「洋服をころもというと、ネイティブ感がアップするよ」と刷り込んだので、最近は洗った服を探すときでも「ワタシノ コロモ ドコ?」と言っています。それみて私は笑っている。

と、長くなったのですが、自分の日本語の使い方にちょっと反省。あまり汚い言葉は使わないようにしないとな、と思った次第です。それはやはり、ドンちゃん言葉遣いが私にかなり影響を与えていることを実感しているからで、プラス、やはりドンちゃんには美しい日本語を話して欲しいから。ドンちゃんの口が汚い言葉で汚れるのは、私もやっぱり嫌だな。


この一件で思い出したのが母の話。

私がまだ1、2歳だった時にいたずらか何かをしたらしく、母は思わずカッとして「バカ!」と私に言ってしまったよう。次の日、いつも一緒にいるミニーマウスに向かって私が「バカ!」と言っている姿をみて、ゾッとしたらしい。そこから、二度とそうゆう言葉は使わないと決めたという話。

親子だわ。





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